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端午節 魯迅

端午節 魯迅

魯迅

端午節
\井上紅梅訳



 方玄綽(ほうげんしゃく)は近頃「大差ない」という言葉を愛用しほとんど口癖のようになった。それは口先ばかりでなく彼の頭の中にしかと根城を据えているのだ。彼は初め「いずれも同じ」という言葉をつかっていたが、後でこれはぴったり来ないと感じたらしく、そこで「大差ない」という言葉に改め、ずっとつかい続けて今日(こんにち)に及んでいる。
 彼はこの平凡な警句を発見してから少からざる新しき感慨を引起したが、同時にまた幾多の新しき慰安を得た。たとえば目上の者が目下の者を抑えつけているのを見ると、以前は癪に障ってたまらなかったが、今はすっかり気を更(か)えて、いずれこの少年が子供を持つと、大概こんな大見栄(みえ)を切るのだろうと、そう思うと何の不平も起らなくなった。また兵隊が車夫を擲(なぐ)ると以前はむっとしたが、もしこの車夫が兵隊になり、兵隊が車夫になったら大概こんなもんだろうと、そう思うともう何の気掛りもなかった。
 そういう風に考えた時、時にまた疑いが起る。自分はこの悪社会と奮闘する勇気がないから、ことさら心にもなくこういう逃げ路を作っているのじゃないか。はなはだ「是非の心無き」に近く、好(よ)きに改めるに如かざるに遠しというわけで、この意見が結局彼の頭の中に生長して来た。
 彼がこの「大差無し」説を最初公表したのは、北京(ペキン)の首善学校(しゅぜんがくこう)の講堂であった。何でも歴史上の事柄に関して説いていたのであったが、「古今の人相遠からず」ということから、各色人種の等しき事、「性相近し」に説き及ぼし、遂に学生と官僚の上に及んで大議論を誘発した。
「現在社会で最も広く行われる流行は官僚を罵倒することで、この運動は学生が最も甚(はなはだ)しい。だが官僚は天のなせる特別の種族ではない。とりもなおさず平民の変化したもので、現に学生出身の官僚も少からず、老官僚と何の撰ぶところがあろう。『地を易(か)えれば皆然り』思想も言論も挙動も風采も元より大した区別のあるものではなく、すなわち学生団体の新(あらた)に起した許多(きょた)の事業は、すでに弊害を免れ難く、その大半は線香花火のように消滅したではないか。全く大差無しである。ただし中国将来の考慮すべき事はすなわちここにあるので……」
 講堂の中には二十名余りの学生が散在していた。ある者はいかにもそうだ、というような顔付した。この話を好いと思ったのだろう。ある者は憤然とした。青年の神聖を侮辱すると思ったのだろう。他の幾人は微笑を含んで彼を見た。おおかた彼自身の弁解とこれを見たのだろう。方玄綽は官僚を兼ねていたからである。
 しかしこの推定は皆誤りであった。実際これは彼の新不平に過ぎないので、不平を説いてはいるが、彼の分に安(やすん)ずる一種の空論にしかあり得ない。彼は自分では気がつかないが、怠け者のせいか、それともまた役に立たないせいか、とにかく運動を肯(がえん)じないで、分に安じ己(おのれ)を守る人らしく見えた。大臣は彼に神経病があるのを罪無きものに思い、彼の地位に動揺を来さないから、彼は一言(ごん)も言い出さないのだ。教員の月給が半年ほど渡らないが、一方には官俸を取って支持しているから、彼は一言も言い出さないのだ。教員が聯合(れんごう)して月給の支払を要求した時、彼は内心大人げないことだ、騒々しいことだと思ったが、官僚が度を越えて教員を疎外したという話を聴き及んでいささか感ずるところあり、その後一転して自分もちょうど金に困り、そうしてほかの官僚は教員を兼任していないという事実を確めたので初めてなるほどと感づいたのである。
 彼は金に差支えたが教員の団体には加入しなかった。しかし衆(みな)が罷業(ひぎょう)すれば講堂には出ない。政府は「授業をすればお金をやる」と声明したが、この言葉は彼にとっては非常に恨めしかった。まるで果実を見せびらかして猿を使うようなものである。それにある大教育家の説得がはなはだ気に食わなかった。
「片手に書物を抱えて片手に銭を要求するのははなはだ高尚でない」
 と、彼はこの時、初めて彼の夫人に対して不平を洩した。
「おい、たった二皿だけか? どういうわけなんだえ、これは」
 高尚でないという説を聞いたその日の晩、彼はお惣菜を眺めてそう言った。
 新教育を受けたことのない奥さんには学名もなければ雅号もなかった。だから別に何と言いようもなかった。旧例に拠れば「夫人」と呼んでいいのだけれど、彼は古臭いのが嫌いで、「おい」という一語を発明した。夫人は彼に対して「おい」という一語すらも所持せず、ただ面と向って話すだけである。それでも習慣法に拠って、その言葉が彼に対して発せられるということが解るのである。
「だけど、先月の分は一割五部しかないのですもの、みんな遣い切ってしまいました。きのうのお米はそれやもう、ようやくのことで借りて来たんですよ」
 彼女は卓の側(そば)に立って彼と顔を合せた。
「そら見ろ、本を教えて月給取るのが卑しいか。これは皆連絡のあることで、人は飯を食わなければならん、飯は米で作らなければならん、米は銭で買わなければならん。こんな些細のことを知らないのか……」
「全くそうよ、お金なしではお米が買えません、お米なしでは御飯が焚けません……」
 彼女の両方の頬ぺたがふかふか動き出した。この怒ったような答案は、ちょうど彼の「大差無し」にほとんどぴったり符号するものである。続いて彼女は頭をくるりと向うへむけて歩き出した。習慣法に拠れば、これは討論中止の宣告を表示したものである。
 凄風冷雨(せいふうれいう)のこの一日が来てから、教員等は政府に未払月給を請求したので、新華門前の泥々の中で軍隊に打たれ、頭を破り、血だらけになった後で、たしかに何程かの月給が渡った。方玄綽は手を一つ動かさずにお金を受取った。古い借金を少し片づけたがまだなかなか大ものが残っていた。それは官俸の方がすこぶる停滞していたからで、こうなるといくら清廉潔白の官吏でも、月給を催促しないではいられない。ましてや教員を兼ねた方玄綽は、自然教育会に同情を表することになった。だから衆(みな)が罷業の継続を主張すると、彼はまだ一度もその場に臨んだことはないが、しんから悦服して公共の決議を守った。
 それはそうと政府は遂に金を払った。学校もまた開校した。ところがその二三日前(ぜん)に、學生聯盟は政府に一文を上程し、「教員が授業しなかったら未払月給を渡す必要はない」と言った。これは少しも効力がなかったが、方玄綽は前の「授業すればお金をやる」という政府の言葉を思い出し、「大差無し」の一つの影が眼の前に浮び出し、どうしても消滅しない。そこで彼は講堂の上で公表した。
 右の通りこの「大差なし」を煎じ詰めると、そこに一種の私心的不平が伴うていることがわかり、決して自分が官僚を兼ねていることを弁解したものではない。ただいつもこういう場合に彼は常に喜んで、中国将来の運命というような問題を持出し、慎みを忘れて自分が立派な憂国の志士であるように振舞う。人々は常に「自ら知るの明」なきを苦しむものである。
 しかし「大差無し」の事実はまたまた発生した。政府はまず人の頭痛の種を蒔く教員を放(ほ)ったらかしたが、あとではあっても無くてもいいような役人どもを放(ほ)ったらかした。未払いまた未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の驍将(ぎょうしょう)となった。二三の新聞には彼等を卑み笑う文字がはなはだ多く現われたが、方玄綽はこれを少しも不思議とは思わない。何となれば彼の「大差無し」説に依って、新聞記者はまだ潤筆料(じゅんぴつりょう)の支払いが停止しないから、こういう呑気な記事を書くので、万一政府もしくは後援者が補助金を断つに至ったら、彼らの大半は大会に赴くだろうと認識したからである。
 彼は既に教員の月給支払請求に同情したので、自然同僚の月給支払請求にも賛成した。しかし彼は衆(みな)と一緒に金の催促にはゆかない。やはりいつものようにお役所の中に坐り込んでいる。彼は一人偉がっているのじゃないかと疑う人もあったが、それは一種の誤解に過ぎない。彼自身の説に拠ると、生れてこの方、人は彼に向って借金の催促をするが、彼は人に向って貸金の催促をしたことがない。だからこの点においては「長ずる処にあらず」。その上彼は手に経済の権を握る人物が大嫌いだ。この種の人物はいったん権勢を失って、大乗起信論を捧(ささ)げ、仏教の原理を講ずる時にはもちろんはなはだ「藹然親しむべき」ものがある。けれど未(いま)だ宝座の上にある時には結局一つの閻魔面(えんまづら)で、他人は皆奴隷のように見え、自分ひとりがこの見すぼらしい奴の生殺の剣を握っていると思っている。そういうわけで彼はこの種の人物を見るのもいやだし、また見たいとも思っていない。この気癖(きぐせ)が時に依ると、自分ながらも一人離れて偉く見えるが、同時に実は本領がないのじゃないかと疑うことがある。
 誰も彼も左を求め右を求め、一節期(せつき)一節期を愚図々々(ぐずぐず)に押し通して来たが、方玄綽などは以前に比べるととてもあがきが取りにくくなって来た。だから追い使いのボーイや出入の商人にはいうまでもなく、彼の奥さん、方太太(ファンタイタイ)ですらも彼に対してだんだん敬意を欠くようになって来た。彼女は近頃調子を合せず、いつも一人極(ぎ)めの意見を持出し、押しの強い仕打ちがあるのを見てもよくわかる。五月四日の午前に迫って彼は役所から帰って来ると、彼女は一攫みの勘定書(かんじょうがき)を彼の鼻先に突きつけた。これは今までにないことである。
「すっかり〆め上げると百八十円。この払いが出来ますか」
 彼女は彼に目も呉(く)れずに言った。
「フン、乃公(おれ)はあすから官吏はやめだ。金の引換券は受取ったが、給料支払要求大会の代表者は金を握り締め、初めは同じ行動を取らない者にはやらないと言ったが、あとでは、また、彼等の跡へ跟(つ)いて行ってじかに受取れと言った。彼等はきょうお金を握ると急に閻魔面になった。乃公(おれ)は実際見るのもいやだ。金は要らない、役人もやめだ。これほどひどい屈辱はない」
 方太太はこの稀れに見るの公憤を見ていささか愕然としたが、すぐにまた落ちついて
「わたしはやはり御自分で取りに被入(いらっしゃ)る方がいいと思います。これじゃしようがありませんからね」
 と、彼女は彼の顔色を窺った。
「乃公(おれ)は行(ゆ)かない。これは官俸だよ。賞与ではないぞ。定例に依って会計課から送って来るのが当りまえだ」
「だけど、送って来なかったらどうしましょうね。おお昨日いうのを忘れましたが、子供の月謝をたびたび催促されて、もしこの上払わないと学校で……」
「馬鹿(ばか)言え、大きな大人を教育してさえ金が取れんのに、子供に少しばかり本を読ませて金が要るのか」
 彼はもう理窟も何も放(ほ)ったらかしで彼女を校長がわりにして鬱憤を晴らすつもりでいるらしいから手がつけられない。で、彼女はなんにも言わない。
 二人は黙々として昼飯を食った。彼は一しきり考え込んでさも悩ましげに出て行った。
 旧例に依れば近年は節期や大晦日の一日前にはいつも彼は夜中の十二時頃、ようやく家に到著して歩きながら懐中を探り大声出して
「おい、取って来たよ」
 と、ごちゃ交ぜにした中国交通銀行の紙幣を彼女に渡し、顔の上にはいささか得意の色があった。ところが五月四日のきょうというきょうは先例を破って彼は七時前に帰って来た。
 方太太は大層心配して、彼は辞職したかもしれないと、そっと顔色を覗いて見たが、別段悲観した様子も見えない。
「どうしてこんなに早かったの」
 彼女は彼の顔色を見定めて言った。
「払出しが十分でないから受取ることが出来ない。銀行はとっくに門を閉めてしまったから、八日まで待つより外はない」
「自分で被入(いらっしゃ)ったの」
 彼女は恐る恐るきいた。
「自分で行くことは取消されてやっぱり会計課から分送することになった。しかしきょうはもう銀行が閉まったから、三日休んで八日の午後まで待たなければならない」
 彼は席に腰を卸し地面を見詰めながら一口お茶をのんでようやく口をひらいた。
「いい按排に役所の方ではまだ問題が起らないから、大概八日になったらお金が入るだろう……あんまり懇意にしない親戚や友達のところへ金を借りにゆくのは、実につらい話だ。わたしは午後厚釜(あつかま)しく金永生(きんえいせい)を訪ねてしばらく話をした、彼はわたしが給金を請求せぬことや、直接受領せぬことを非常な清高な行いとして賞讃したが、わたしが五十円融通してくれと申込むと、たちまち彼の口の中へ一攫みの塩を押込んだようにおおよそ彼の顔じゅうで皺の出来るところは皆皺が出来た。近頃は家賃が集まらないし、商売の方では元を食い込むし、これでもなかなか困っているのですよ。同僚の前へ行って取るべきものを取るのは当然ですから、そういうことにおしなさい、とすぐにわたしを弾き出した」
「節句の真際になって金を借りに行ったって、誰が貸すもんですか」
 方太太は当りまえのような顔付で少しも口惜(くや)しがらない。
 方玄綽は頭をさげて、これは無理もないことだ。わたしと金永生は元から深い識合(しりあ)いではなかった。彼は続いて去年の暮れのことを思い出した。そのとき一人の同郷生が十円借りに来た。彼は明かにお役所の判のついてある手形を持っていたが、その人が金を返してくれないと困ると思って、はなはだ六(む)ツかしい面(かお)を作り、役所の方からはまだ月給が下らない、学校の方も駄目(だめ)で、実に「愛してはいるが助けることが出来ない」と言って彼を空手で追い帰した。その時自分はどんな顔をしていたか。もちろん自分で見ることは出来ないが、何しろすこぶる息がつまり脣(くちびる)が顫(ふる)えて、頭を動かしていたに違いない。
 それはそうと彼は、ふと何かいい想いつきをしたように、ボーイを呼んで命令を発した。
「街へ行って『蓮花白(レンホワパイ)』を一瓶借りて来い」
 店屋は明日の払いを当てにしているから大抵貸さないことはあるまい。もし貸さなければ彼等は当然の罰を受けて、明日は一文も貰えないのだ。
 蓮花白(レンホワパイ)は首尾よく手に入った。彼は二杯のむと青白い顔が真赤になった。飯を食ってしまうと彼はすこぶる上機嫌になり、太巻のハートメンに火を点け、卓上から嘗試集(しょうししゅう)を攫み出し、床の上に横たわって見ていた。
「じゃ、あしたは出入の商人の方はどうしましょう」
 方太太は突然押掛けて来て床(とこ)の前に突立(つった)った。
「商人?……八日の午後来いと言え」
「わたしにはそんなことが言えません。向うで信用しません、承知しません」
「信用しないことがあるもんか。向うへ行って聞けばわかる。役所じゅうの人は誰一人貰っていない。皆八日だ」
 彼は人差指を伸ばして蚊帳の中の空間に一つの半円を画(えが)いた。方太太はその半円を見ていると、たちまちその手は嘗試集を攫んだ。
 方太太はこの横車押(よこぐるまおし)を見て、あいた口が塞がらなかった。
「わたしゃこんな風じゃとてもやりきれませんよ。これから先(さ)きのことを考えて、何か他の事でも始めたら……」
 彼女は遂にべつの道を求めた。
「何か他の方法といっても、乃公(おれ)は『筆の上では筆耕生(ひっこうせい)にもなれないし、腕力では消防夫にもなれない』、別にどうしようもない」
「あなたは上海(シャンハイ)の本屋に文章を書いてやりませんか」
「上海の本屋? あいつもいよいよ原稿を買う段になると、一つ一つ字を勘定するからね。空間(あきま)は勘定の中に入れない。お前、見たろう。乃公(おれ)があの白話詩(はくわし)を作った時、空間(あきま)がどのくらいあったか。おそらく一冊書いて三百文くらいのものだ。印税は半年経っても音沙汰がない。『遠くの水では近処の火事が救えない』、とても面倒(めんどう)だよ」
「そんならここの新聞社におやりになってみたら……」
「なに、新聞社にやると? ここの一番大きな新聞社へ、乃公(おれ)はこの間ある学生を世話して、向うの編輯の顔で原稿を買ってもらったが、一千字書いても幾らにもならん、朝から晩まで書き詰めに書いても、お前たちを養うことが出来ない。まして乃公(おれ)の肚(はら)の中にはあんまり名文章がないからな」
「そんなら節句が過ぎたら、どうする積りなんです」
「節句が過ぎたら? やっぱり官吏さ。あした商人が来て金呉(く)れと言ったら、八日の午後に来いと言いさえすればいい」
 彼は嘗試集を取ってまた読み始めた。方太太は慌てて語をついだ。
「節句が過ぎて八日になったら、わたしゃ……いっそのこと富籤(とみくじ)でも買った方がいいと思いますわ」
「馬鹿(ばか)な! そんな無教育なことを言う奴があるもんか」
 彼はたちまちあの時のことを思い出した。金永生から追払(おっぱら)われて、ぼんやりとして稻香村(とうこうそん)(菓子屋)の前まで来ると、店先にぶらさげてある一斗桝(いっとます)大の広告文字を見た。「一等幾万円」にはちょっと心が動いたが、あるいは足の運びがのろくなったのかもしれん、とにかく蟇口(がまぐち)の中に残っているのはわずかに六十銭。実はそれを捨てかねたから思い切りよく遠のいたのだ。彼が顔色を変えると、方太太は彼女の無教育を怒ったのかと思って話の結末をつけずに退出した。方玄綽もまた話の結末をつけずに腰を伸ばして嘗試集を読み始めた。

 (一九二二年[#「年」は底本では「日」]六月)

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端午节⑴

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  方玄绰近来爱说“差不多”这一句话,几乎成了“口头禅”似的;而且不但说,的确也盘据在他脑里了。他最初说的是“都一样”,后来大约觉得欠稳当了,便改为“差不多”,一直使用到现在。

  他自从发见了这一句平凡的警句以后,虽然引起了不少的新感慨,同时却也到许多新慰安。譬如看见老辈威压青年,在先是要愤愤的,但现在却就转念道,将来这少年有了儿孙时,大抵也要摆这架子的罢,便再没有什么不平了。又如看见兵士打车夫,在先也要愤愤的,但现在也就转念道,倘使这车夫当了兵,这兵拉了车,大抵也就这么打,便再也不放在心上了。他这样想着的时候,有时也疑心是因为自己没有和恶社会奋斗的勇气,所以瞒心昧己的故意造出来的一条逃路,很近于“无是非之心”⑵,远不如改正了好。然而这意见总反而在他脑里生长起来。

  他将这“差不多说”最初公表的时候是在北京首善学校的讲堂上,其时大概是提起关于历史上的事情来,于是说到“古今人不相远”,说到各色人等的“性相近”⑶,终于牵扯到学生和官僚身上,大发其议论道:

  “现在社会上时髦的都通行骂官僚,而学生骂得尤利害。然而官僚并不是天生的特别种族,就是平民变就的。现在学生出身的官僚就不少,和老官僚有什么两样呢?‘易地则皆然’⑷,思想言论举动丰采都没有什么大区别……便是学生团体新办的许多事业,不是也已经难免出弊病,大半烟消火灭了么?差不多的。但中国将来之可虑就在此……”

  散坐在讲堂里的二十多个听讲者,有的怅然了,或者是以为这话对;有的勃然了,大约是以为侮辱了神圣的青年;有几个却对他微笑了,大约以为这是他替自己的辩解:因为方玄绰就是兼做官僚的。

  而其实却是都错误。这不过是他的一种新不平;虽说不平,又只是他的一种安分的空论。他自己虽然不知道是因为懒,还是因为无用,总之觉得是一个不肯运动,十分安分守己的人。总长冤他有神经病,只要地位还不至于动摇,他决不开一开口;教员的薪水欠到大半年了,只要别有官俸支持,他也决不开一开口。不但不开口,当教员联合索薪的时候,他还暗地里以为欠斟酌,太嚷嚷;直到听得同寮过分的奚落他们了,这才略有些小感慨,后来一转念,这或者因为自己正缺钱,而别的官并不兼做教员的缘故罢,于是就释然了。

  他虽然也缺钱,但从没有加入教员的团体内,大家议决罢课,可是不去上课了。政府说“上了课才给钱”,他才略恨他们的类乎用果子耍猴子;一个大教育家⑸说道“教员一手挟书包一手要钱不高尚”,他才对于他的太太正式的发牢骚了。

  “喂,怎么只有两盘?”听了“不高尚说”这一日的晚餐时候,他看着菜蔬说。

  他们是没有受过新教育的,太太并无学名或雅号,所以也就没有什么称呼了,照老例虽然也可以叫“太太”但他又不愿意太守旧,于是就发明了一个“喂”字。太太对他却连“喂”字也没有,只要脸向着他说话,依据习惯法,他就知道这话是对他而发的。

  “可是上月领来的一成半都完了……昨天的米,也还是好容易才赊来的呢。”伊站在桌旁脸对着他说。

  “你看,还说教书的要薪水是卑鄙哩。这种东西似乎连人要吃饭,饭要米做,米要钱买这一点粗浅事情都不知道……”

  “对啦。没有钱怎么买米,没有米怎么煮……”

  他两颊都鼓起来了,仿佛气恼这答案正和他的议论“差不多”,近乎随声附和模样;接着便将头转向别一面去了,依据习惯法,这是宣告讨论中止的表示。

  待到凄风冷雨这一天,教员们因为向政府去索欠薪⑹,在新华门前烂泥里被国军打得头破血出之后,倒居然也发了一点薪水。方玄绰不费举手之劳的领了钱,酌还些旧债,却还缺一大笔款,这是因为官俸也颇有些拖欠了。当是时,便是廉吏清官们也渐以为薪之不可不索,而况兼做教员的方玄绰,自然更表同情于学界起来,所以大家主张继续罢课的时候,他虽然仍未到场,事后却尤其心悦诚服的确守了公共的决议。

  然而政府竟又付钱,学校也就开课了。但在前几天,却有学生总会上一个呈文给政府,说“教员倘若不上课,便要付欠薪。”这虽然并无效,而方玄绰却忽而记起前回政府所说的“上了课才给钱”的话来,“差不多”这一个影子在他眼前又一幌,而且并不消灭,于是他便在讲堂上公表了。

  准此,可见如果将“差不多说”锻炼罗织起来,自然也可以判作一种挟带私心的不平,但总不能说是专为自己做官的辩解。只是每到这些时,他又常常喜欢拉上中国将来的命运之类的问题,一不小心,便连自己也以为是一个忧国的志士;人们是每苦于没有“自知之明”的。

  但是“差不多”的事实又发生了,政府当初虽只不理那些招人头痛的教员,后来竟不理到无关痛痒的官吏,欠而又欠,终于逼得先前鄙薄教员要钱的好官,也很有几员化为索薪大会里的骁将了。惟有几种日报上却很发了些鄙薄讥笑他们的文字。方玄绰也毫不为奇,毫不介意,因为他根据了他的“差不多说”,知道这是新闻记者还未缺少润笔⑺的缘故,万一政府或是阔人停了津贴,他们多半也要开大会的。

  他既已表同情于教员的索薪,自然也赞成同寮的索俸,然而他仍安坐在衙门中,照例的并不一同去讨债。至于有人疑心他孤高,那可也不过是一种误解罢了。他自己说,他是自从出世以来,只有人向他来要债,他从没有向人去讨过债,所以这一端是“非其所长”。而且他是不敢见手握经经济之权的人物,这种人待到失了权势之后,捧着一本《大乘起信论》⑻讲佛学的时候,固然也很是“蔼然可亲”的了,但还在宝座上时,却总是一副阎王脸,将别人都当奴才看,自以为手操着你们这些穷小子们的生杀之权。他因此不敢见,也不愿见他们。这种脾气,虽然有时连自己也觉得是孤高,但往往同时也疑心这其实是没本领。

  大家左索右索,总自一节一节的挨过去了,但比起先前来,方玄绰究竟是万分的拮据,所以使用的小厮和交易的店家不消说,便是方太太对于他也渐渐的缺了敬意,只要看伊近来不很附和,而且常常提出独创的意见,有些唐突的举动,也就可以了然了。到了阴历五月初四的午前,他一回来,伊便将一叠账单塞在他的鼻子跟前,这也是往常所没有的。

  “一总总得一百八十块钱才够开消……发了么?”伊并不对着他看的说。

  “哼,我明天不做官了。钱的支票是领来的了,可是索薪大会的代表不发放,先说是没有同去的人都不发,后来又说是要到他们跟前去亲领。他们今天单捏着支票,就变了阎王脸了,我实在怕看见……我钱也不要了,官也不做了,这样无限量的卑屈……”

  方太太见了这少见的义愤,倒有些愕然了,但也就沉静下来。

  “我想,还不如去亲领罢,这算什么呢。”伊看着他的脸说。

  “我不去!这是官俸,不是赏钱,照例应该由会计科送来的。”

  “可是不送来又怎么好呢……哦,昨夜忘记说了,孩子们说那学费,学校里已经催过好几次了,说是倘若再不缴……”

  “胡说!做老子的办事教书都不给钱,儿子去念几句书倒要钱?”

  伊觉得他已经不很顾忌道理,似乎就要将自己当作校长来出气,犯不上,便不再言语了。

  两个默默的吃了午饭。他想了一会,又懊恼的出去了。

  照旧例,近年是每逢节根或年关的前一天,他一定须在夜里的十二点钟才回家,一面走,一面掏着怀中,一面大声的叫道,“喂,领来了!”于是递给伊一叠簇新的中交票⑼,脸上很有些得意的形色。谁知道初四这一天却破了例,他不到七点钟便回家来。方太太很惊疑,以为他竟已辞了职了,但暗暗地察看他脸上,却也并不见有什么格外倒运的神情。

  “怎么了?……这样早?……”伊看定了他说。

  “发不及了,领不出了,银行已经关了门,得等初八。”

  “亲领?……”伊惴惴的问。

  “亲领这一层也已经取消了,听说仍旧由会计科分送。可是银行今天已经关了门,休息三天,得等到初八的上午。”他坐下,眼睛看着地面了,喝过一口茶,才又慢慢的开口说,“幸而衙门里也没有什么问题了,大约到初八就准有钱……向不相干的亲戚朋友去借钱,实在是一件烦难事。我午后硬着头皮去寻金永生,谈了一会,他先恭维我不去索薪,不肯亲领,非常之清高,一个人正应该这样做;待到知道我想要向他通融五十元,就像我在他嘴里塞了一大把盐似的,凡有脸上可以打皱的地迫都打起皱来,说房租怎样的收不起,买卖怎样的赔本,在同事面前亲身领款,也不算什么的,即刻将我支使出来了。”

  “这样紧急的节根,谁还肯借出钱去呢。”方太太却只淡淡的说,并没有什么慨然。

  方玄绰低下头来了,觉得这也无怪其然的,况且自己和金永生本来很疏远。他接着就记起去年年关的事来,那时有一个同乡来借十块钱,他其时明明已经收到了衙门的领款凭单的了,因为死怕这人将来未必会还钱,便装了副为难的神色,说道衙门里既然领不到俸钱,学校里又不发薪水,实在“爱莫能助”,将他空手送走了。他虽然自已并不看见装了怎样的脸,但此时却觉得很局促,嘴唇微微一动,又摇一摇头。

  然而不多久,他忽而恍然大悟似的发命令了:叫小厮即刻上街去赊一瓶莲花白。他知道店家希图明天多还帐,大抵是不敢不赊的,假如不赊,则明天分文不还,正是他们应得的惩罚。

  莲花白竟赊来了,他喝了两杯,青白色的脸上泛了红,吃完饭,又颇有些高兴了,他点上一枝大号哈德门香烟,从桌上抓起一本《尝试集》⑽来,躺在床上就要看。

  “那么明天怎么对付店家呢?”方太太追上去,站在床面前看着他的脸说。

  “店家?……教他们初八的下半天来。”

  “我可不能这么说。他们不相信,不答应的。”

  “有什么不相信。他们可以问去,全衙门里什么人也没有领到,都得初八!”他戟着第二个指头在帐子里的空中画了一个半圆,方太太跟着指头也看了一个半圆,只见这手便去翻开了《尝试集》。

  方太太见他强横到出乎情理之外了,也暂时开不得口。

  “我想,这模样是闹不下去的,将来总得想点法,做点什么别的事……”伊终于寻到了别的路,说。

  “什么法呢?我‘文不像誊录生,武不像救火兵’,别的做什么?”

  “你不是给上海的书铺子做过文章么?”

  “上海的书铺子?买稿要一个一个的算字,空格不算数。你看我做在那里的白话诗去,空白有多少,怕只值三百大钱一本罢。收版权税又半年六月没消息,‘远水救不得近火’,谁耐烦。”

  “那么,给这里的报馆里……”

  “给报馆里?便在这里很大的报馆里,我靠着一个学生在那里做编辑的大情面,一千字也就是这几个钱,即使一早做到夜,能够养活你们么?况且我肚子里也没有这许多文章。”

  “那么,过了节怎么办呢?”

  “过了节么?——仍旧做官……明天店家来要钱,你只要说初八的下午。”

  他又要看《尝试集》了。方太太怕失了机会,连忙吞吞吐吐的说:

  “我想,过了节,到了初八,我们……倒不如去买一张彩票⑾……”

  “胡说!会说这样无教育的……”

  这时候,他忽而又记起被金永生支使出来以后的事了。那时他惘惘的走过稻香村,看店门口竖着许多斗大的字的广告道“头彩几万元”,仿佛记得心里也一动,或者也许放慢了脚步的罢,但似乎因为舍不得皮夹里仅存的六角钱,所以竟也毅然决然的走远了。他脸色一变,方太太料想他是在恼着伊的无教育,便赶紧退开,没有说完话。方玄绰也没有说完话,将腰一伸,咿咿呜呜的就念《尝试集》。


                            一九二二年六月。


□注释

⑴本篇最初发表于一九二二年九月上海《小说月报》第十三卷第九号。

⑵“无是非之心”:语见《孟子·公孙丑》:“无是非之心,非人也。”

⑶“性相近”:语见《论语·阳货》:“性相近也,习相远也。”

⑷“易地则皆然”:语见《孟子·离娄》。

⑸大教育家:指范源濂。据北京《语丝》周刊第十四期《理想中的教师》一文追述:“前教育总长……范静生先生(按:即范源濂)也曾非难过北京各校的教员,说他们一手拿钱,一手拿书包上课。”

⑹指当时曾发生的索薪事件。一九二一年六月三日,国立北京专门以上八校辞职教职员代表联席会,联合全市各校教职员工和学生群众一万多人举行示威游行,向以徐世昌为首的北洋军阀政府索取欠薪,遭到镇压,多人受伤。下文的新华门,在北京西长安街,当时曾是北洋军阀政府总统府的大门。

⑺润笔:原指给撰作诗文或写字、画画的人的报酬,后来也用作稿酬的别称。

⑻《大乘起信论》:佛经名。印度马鸣菩萨作。

⑼中交票:中国银行和交通银行(都是当时的国家银行)发行的钞票。

⑽《尝试集》:胡适作的白话诗集,一九二○年三月上海亚东图书馆出版。

⑾彩票:一种带有赌博性质的证券。大多由官方发行,编有号码,以一定的价格出售,从售得的款中提出一小部分作奖金;用抽签的办法定出各级中奖号码,凡彩票号码与中奖号码相同的,按等级领奖,未中的作废

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