注册
登录
会员
搜索
标签
太阁日语在线
个人博客
太阁日语视频
帮助
太阁日语论坛
»
◇ 心情驿站
» [日语]【中日对照】故郷/故乡(鲁迅
‹‹ 上一主题
|
下一主题 ››
发新话题
发布投票
发布商品
发布悬赏
发布活动
发布辩论
发布视频
打印
[日语]【中日对照】故郷/故乡(鲁迅
本主题由 枫叶 于 2008-1-23 23:54 审核通过
sky
阿斯
将军(vip会员)
农民
UID
357
帖子
63
积分
370
推广分
0
日语水平
日语能力四级
注册时间
2007-10-18
个人空间
发短消息
加为好友
当前离线
1楼
大
中
小
发表于 2008-1-23 18:35
只看该作者
[日语]【中日对照】故郷/故乡(鲁迅
故郷
魯迅
井上紅梅訳
わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。
わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。
わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行(ゆ)かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。
わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著(つ)いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫(ふる)えているのは、ちょうどこの老屋が主を更(か)えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷内(うち)に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒(こうじ)も飛出(とびだ)して来た。
母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。
わたしどもはとうとう家移りのことを話した。
「あちらの家も借りることに極(き)めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物(かさばりもの)を売払って向うで買うことにしましょう」
「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵(にごしら)えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭(あし)にならないよ」
こんな話をしたあとで母は語を継いだ。
「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」
「ええそうしましょう」
「あの閏土(じゅんど)がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして
「今度到著(とうちゃく)の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」
「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」
この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色(はなだいろ)の大空にかかる月はまんまろの黄金色(こがねいろ)であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜(すいか)畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項(えり)には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒(さすぼう)を握って一疋(ぴき)の土竜(もぐら)に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨(また)ぐらを潜(くぐ)って逃げ出す。
この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家(うち)の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜(やかま)しく行われ、参詣人が雑沓(ざっとう)するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家(うち)には忙月(マンユエ)が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅(せがれ)をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年(チャンネン)といい、日雇いの者を短工(トワンコン)という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月(マンユエ)という)
わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月(うるうづき)生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。
わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで
「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳(か)け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽(すきらしゃぼう)をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪(くびわ)を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。
われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。
次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。
「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地(すなぢ)の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕(み)を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏(いねどり)、角鶏(つのどり)、※鴣(のばと)[#「孛+鳥」、105-11]、藍背(あいせ)……」
そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左(さ)のような話をした。
「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入(いら)っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入(いら)っしゃい」
「泥棒の見張をするのかえ」
「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家(うち)の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは猪(いのしし)、山あらし、土竜の類(るい)です。月明りの下でじっと耳を澄ましているとララと響いて来ます。土竜が瓜を噛んでるんですよ。その時あなたは叉棒を攫(つか)んでそっと行って御覧なさい」
わたしはそのいわゆる土竜というものがどんなものか、その時ちっとも知らなかった。――今でも解らない――ただわけもなく、小犬のような形で非常に猛烈のように感じた。
「彼は咬(か)みついて来るだろうね」
「こちらには叉棒がありますからね。歩いて行って見つけ次第、あなたはそれを刺せばいい。こん畜生は馬鹿に利巧な奴で、あべこべにあなたの方へ馳け出して来て、跨の下から逃げてゆきます。あいつの毛皮は油のように滑(すべ)ッこい」
わたしは今までこれほど多くの珍らしいことが世の中にあろうとは知らなかった。海辺にこんな五色(しき)の貝殻があったり、西瓜にこんな危険性があったり――わたしは今の先(さ)きまで西瓜は水菓子屋の店に売っているものとばかし思っていた。
「わたしどもの沙地の中には大潮の来る前に、たくさん跳ね魚が集(あつま)って来て、ただそれだけが跳ね廻っています。青蛙のように二つの脚があって……」
ああ閏土の胸の中には際限もなく不思議な話が繋がっていた。それはふだんわたしどもの往来(ゆきき)している友達の知らぬことばかりで、彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。
惜しいかな、正月は過ぎ去り、閏土は彼の郷里に帰ることになった。わたしは大哭(おおな)きに哭いた。閏土もまた泣き出し、台所に隠れて出て行くまいとしたが、遂に彼の父親に引張り出された。
彼はその後父親に託(ことづ)けて貝殻一包(つつみ)と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した。わたしの方でも一二度品物を届けてやったこともあるが、それきり顔を見たことが無い。
現在わたしの母が彼のことを持出したので、わたしのあの時の記憶が電(いなずま)の如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた。わたしは声に応じて答えた。
「そりゃ面白い。彼はどんな風です」
「あの人かえ、あの人の景気もあんまりよくないようだよ」
母はそういいながら室(へや)の外を見た。
「おやまた誰か来たよ。木器(もくき)買うと言っては手当り次第に持って行くんだから、わたしがちょっと見て来ましょう」
母が出て行くと門外の方で四五人の女の声がした。わたしは宏兒を側(そば)へ喚(よ)んで彼と話をした。字が書けるか、この家(うち)を出て行きたいと思うか、などということを訊いてみた。
「わたしどもは汽車に乗ってゆくのですか」
「汽車に乗ってゆくんだよ」
「船は?」
「まず船に乗るんだ」
「おや、こんなになったんですかね。お鬚がまあ長くなりましたこと」
一種尖ったおかしな声が突然わめき出した。
わたしは喫驚(びっくり)して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿(ももひきば)きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。
わたしはぎょっとした。
「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」
わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側(そば)から
「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」
とわたしの方へ向って
「これはすじ向うの楊二嫂(ようにそう)だよ。そら豆腐屋さんの」
おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処(きんじょ)で評判の「豆腐西施(せいし)」で白粉(おしろい)をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻(ぶんまわ)しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未(いま)だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加(アメリカ)人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。
「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」
「いえ、決してそんなことはありません、わたし……」
わたしは慌てて立上がった。
「そんなら迅(じん)ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多(がらくた)道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」
「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」
「おやおやお前は結構な道台(おやくめ)さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾(めかけ)さんがあって、外に出る時には八人舁(かつ)きの大轎(おおかご)に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰(おっしゃ)ろうが、私を瞞(だま)すことは出来ないよ」
わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると
「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」
コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。
そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸(ぬす)んで行李(こうり)をまとめ、こんなことで三四日も過した。
非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著(き)こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管(ながぎせる)を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮(まつかわ)のような裂け目があった。
わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら
「あ、閏土さん、よく来てくれた」
とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜……けれど結局何かに弾かれたような工合(ぐあい)になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。
彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。
「旦那様」
と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。
彼は頭を後ろに向け
「水生(すいせい)や、旦那様にお辞儀をしなさい」
と背中に躱(かく)れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。
「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」
母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声(はなしごえ)を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低(さ)げて
「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」
「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先(せん)にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」
母親はいい機嫌であった。
「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」
閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞(はずか)しがって背中にこびりついて離れない。
「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼(こわ)がるのは当前(あたりまえ)だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」
宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著(つ)いた。長煙管を卓の側(そば)に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。
「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家(うち)の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」
わたしは彼に暮向(くらしむき)のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。
「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。……世の中は始終ゴタついておりますし、……どちらを向いてもお金の費(い)ることばかりで、方途(ほうず)が知れません……実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」
彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。
母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付(いいつ)けた。
あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖(ふ)えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪(どひ)や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡(すべ)ての苦しみは彼をして一つの木偶(でく)とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰(よ)り取らせてもいい」と母は言った。
午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤(てんびん)一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前(ぜん)に船を寄越して積取ってゆく。
晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。
九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。
船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色(しんたいしょく)の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退(しりぞ)く。
わたしは船窓に凭(よ)って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。
「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」
「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」
「あの水生がね、自分の家(うち)へ遊びに来てくれと言っているんですよ」
宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。
わたしどもはうすら睡(ねむ)くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。
「あの豆腐西施は家(うち)で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判(ろっぱん)の挙句、これはきっと閏土が埋(うず)めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」
(犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌(は)め、中には餌(え)を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄(ついば)むことが出来る。犬は柵に鼻が閊(つか)えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという)
だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。
母も宏兒も睡ってしまった。
わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。
わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。
夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。
希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
(一九二一年一月)
————————————————————
故乡⑴
--------------------------------------------------------------------------------
我冒了严寒,回到相隔二千余里,别了二十余年的故乡去。
时候既然是深冬;渐近故乡时,天气又阴晦了,冷风吹进船舱中,呜呜的响,从蓬隙向外一望,苍黄的天底下,远近横着几个萧索的荒村,没有一些活气。我的心禁不住悲凉起来了。
阿!这不是我二十年来时时记得的故乡?
我所记得的故乡全不如此。我的故乡好得多了。但要我记起他的美丽,说出他的佳处来,却又没有影像,没有言辞了。仿佛也就如此。于是我自己解释说:故乡本也如此,——虽然没有进步,也未必有如我所感的悲凉,这只是我自己心情的改变罢了,因为我这次回乡,本没有什么好心绪。
我这次是专为了别他而来的。我们多年聚族而居的老屋,已经公同卖给别姓了,交屋的期限,只在本年,所以必须赶在正月初一以前,永别了熟识的老屋,而且远离了熟识的故乡,搬家到我在谋食的异地去。
第二日清早晨我到了我家的门口了。瓦楞上许多枯草的断茎当风抖着,正在说明这老屋难免易主的原因。几房的本家大约已经搬走了,所以很寂静。我到了自家的房外,我的母亲早已迎着出来了,接着便飞出了八岁的侄儿宏儿。
我的母亲很高兴,但也藏着许多凄凉的神情,教我坐下,歇息,喝茶,且不谈搬家的事。宏儿没有见过我,远远的对面站着只是看。
但我们终于谈到搬家的事。我说外间的寓所已经租定了,又买了几件家具,此外须将家里所有的木器卖去,再去增添。母亲也说好,而且行李也略已齐集,木器不便搬运的,也小半卖去了,只是收不起钱来。
“你休息一两天,去拜望亲戚本家一回,我们便可以走了。”母亲说。
“是的。”
“还有闰土,他每到我家来时,总问起你,很想见你一回面。我已经将你到家的大约日期通知他,他也许就要来了。”
这时候,我的脑里忽然闪出一幅神异的图画来:深蓝的天空中挂着一轮金黄的圆月,下面是海边的沙地,都种着一望无际的碧绿的西瓜,其间有一个十一二岁的少年,项带银圈,手捏一柄钢叉,向一匹猹⑵尽力的刺去,那猹却将身一扭,反从他的胯下逃走了。
这少年便是闰土。我认识他时,也不过十多岁,离现在将有三十年了;那时我的父亲还在世,家景也好,我正是一个少爷。那一年,我家是一件大祭祀的值年⑶。这祭祀,说是三十多年才能轮到一回,所以很郑重;正月里供祖像,供品很多,祭器很讲究,拜的人也很多,祭器也很要防偷去。我家只有一个忙月(我们这里给人做工的分三种:整年给一定人家做工的叫长工;按日给人做工的叫短工;自己也种地,只在过年过节以及收租时候来给一定人家做工的称忙月),忙不过来,他便对父亲说,可以叫他的儿子闰土来管祭器的。
我的父亲允许了;我也很高兴,因为我早听到闰土这名字,而且知道他和我仿佛年纪,闰月生的,五行缺土⑷,所以他的父亲叫他闰土。他是能装〔弓京〕捉小鸟雀的。
我于是日日盼望新年,新年到,闰土也就到了。好容易到了年末,有一日,母亲告诉我,闰土来了,我便飞跑的去看。他正在厨房里,紫色的圆脸,头戴一顶小毡帽,颈上套一个明晃晃的银项圈,这可见他的父亲十分爱他,怕他死去,所以在神佛面前许下愿心,用圈子将他套住了。他见人很怕羞,只是不怕我,没有旁人的时候,便和我说话,于是不到半日,我们便熟识了。
我们那时候不知道谈些什么,只记得闰土很高兴,说是上城之后,见了许多没有见过的东西。
第二日,我便要他捕鸟。他说:
“这不能。须大雪下了才好。我们沙地上,下了雪,我扫出一块空地来,用短棒支起一个大竹匾,撒下秕谷,看鸟雀来吃时,我远远地将缚在棒上的绳子只一拉,那鸟雀就罩在竹匾下了。什么都有:稻鸡,角鸡,鹁鸪,蓝背……”
我于是又很盼望下雪。
闰土又对我说:
“现在太冷,你夏天到我们这里来。我们日里到海边捡贝壳去,红的绿的都有,鬼见怕也有,观音手⑸也有。晚上我和爹管西瓜去,你也去。”
“管贼么?”
“不是。走路的人口渴了摘一个瓜吃,我们这里是不算偷的。要管的是獾猪,刺猬,猹。月亮底下,你听,啦啦的响了,猹在咬瓜了。你便捏了胡叉,轻轻地走去……”
我那时并不知道这所谓猹的是怎么一件东西——便是现在也没有知道——只是无端的觉得状如小狗而很凶猛。
“他不咬人么?”
“有胡叉呢。走到了,看见猹了,你便刺。这畜生很伶俐,倒向你奔来,反从胯下窜了。他的皮毛是油一般的滑……”
我素不知道天下有这许多新鲜事:海边有如许五色的贝壳;西瓜有这样危险的经历,我先前单知道他在水果电里出卖罢了。
“我们沙地里,潮汛要来的时候,就有许多跳鱼儿只是跳,都有青蛙似的两个脚……”
阿!闰土的心里有无穷无尽的希奇的事,都是我往常的朋友所不知道的。他们不知道一些事,闰土在海边时,他们都和我一样只看见院子里高墙上的四角的天空。
可惜正月过去了,闰土须回家里去,我急得大哭,他也躲到厨房里,哭着不肯出门,但终于被他父亲带走了。他后来还托他的父亲带给我一包贝壳和几支很好看的鸟毛,我也曾送他一两次东西,但从此没有再见面。
现在我的母亲提起了他,我这儿时的记忆,忽而全都闪电似的苏生过来,似乎看到了我的美丽的故乡了。我应声说:
“这好极!他,——怎样?……”
“他?……他景况也很不如意……”母亲说着,便向房外看,“这些人又来了。说是买木器,顺手也就随便拿走的,我得去看看。”
母亲站起身,出去了。门外有几个女人的声音。我便招宏儿走近面前,和他闲话:问他可会写字,可愿意出门。
“我们坐火车去么?”
“我们坐火车去。”
“船呢?”
“先坐船,……”
“哈!这模样了!胡子这么长了!”一种尖利的怪声突然大叫起来。
我吃了一吓,赶忙抬起头,却见一个凸颧骨,薄嘴唇,五十岁上下的女人站在我面前,两手搭在髀间,没有系裙,张着两脚,正像一个画图仪器里细脚伶仃的圆规。
我愕然了。
“不认识了么?我还抱过你咧!”
我愈加愕然了。幸而我的母亲也就进来,从旁说:
“他多年出门,统忘却了。你该记得罢,”便向着我说,“这是斜对门的杨二嫂,……开豆腐店的。”
哦,我记得了。我孩子时候,在斜对门的豆腐店里确乎终日坐着一个杨二嫂,人都叫伊“豆腐西施”⑹。但是擦着白粉,颧骨没有这么高,嘴唇也没有这么薄,而且终日坐着,我也从没有见过这圆规式的姿势。那时人说:因为伊,这豆腐店的买卖非常好。但这大约因为年龄的关系,我却并未蒙着一毫感化,所以竟完全忘却了。然而圆规很不平,显出鄙夷的神色,仿佛嗤笑法国人不知道拿破仑⑺,美国人不知道华盛顿⑻似的,冷笑说:
“忘了?这真是贵人眼高……”
“那有这事……我……”我惶恐着,站起来说。
“那么,我对你说。迅哥儿,你阔了,搬动又笨重,你还要什么这些破烂木器,让我拿去罢。我们小户人家,用得着。”
“我并没有阔哩。我须卖了这些,再去……”
“阿呀呀,你放了道台⑼了,还说不阔?你现在有三房姨太太;出门便是八抬的大轿,还说不阔?吓,什么都瞒不过我。”
我知道无话可说了,便闭了口,默默的站着。
“阿呀阿呀,真是愈有钱,便愈是一毫不肯放松,愈是一毫不肯放松,便愈有钱……”圆规一面愤愤的回转身,一面絮絮的说,慢慢向外走,顺便将我母亲的一副手套塞在裤腰里,出去了。
此后又有近处的本家和亲戚来访问我。我一面应酬,偷空便收拾些行李,这样的过了三四天。
一日是天气很冷的午后,我吃过午饭,坐着喝茶,觉得外面有人进来了,便回头去看。我看时,不由的非常出惊,慌忙站起身,迎着走去。
这来的便是闰土。虽然我一见便知道是闰土,但又不是我这记忆上的闰土了。他身材增加了一倍;先前的紫色的圆脸,已经变作灰黄,而且加上了很深的皱纹;眼睛也像他父亲一样,周围都肿得通红,这我知道,在海边种地的人,终日吹着海风,大抵是这样的。他头上是一顶破毡帽,身上只一件极薄的棉衣,浑身瑟索着;手里提着一个纸包和一支长烟管,那手也不是我所记得的红活圆实的手,却又粗又笨而且开裂,像是松树皮了。
我这时很兴奋,但不知道怎么说才好,只是说:
“阿!闰土哥,——你来了?……”
我接着便有许多话,想要连珠一般涌出:角鸡,跳鱼儿,贝壳,猹,……但又总觉得被什么挡着似的,单在脑里面回旋,吐不出口外去。
他站住了,脸上现出欢喜和凄凉的神情;动着嘴唇,却没有作声。他的态度终于恭敬起来了,分明的叫道:
“老爷!……”
我似乎打了一个寒噤;我就知道,我们之间已经隔了一层可悲的厚障壁了。我也说不出话。
他回过头去说,“水生,给老爷磕头。”便拖出躲在背后的孩子来,这正是一个廿年前的闰土,只是黄瘦些,颈子上没有银圈罢了。“这是第五个孩子,没有见过世面,躲躲闪闪……”
母亲和宏儿下楼来了,他们大约也听到了声音。
“老太太。信是早收到了。我实在喜欢的不得了,知道老爷回来……”闰土说。
“阿,你怎的这样客气起来。你们先前不是哥弟称呼么?还是照旧:迅哥儿。”母亲高兴的说。
“阿呀,老太太真是……这成什么规矩。那时是孩子,不懂事……”闰土说着,又叫水生上来打拱,那孩子却害羞,紧紧的只贴在他背后。
“他就是水生?第五个?都是生人,怕生也难怪的;还是宏儿和他去走走。”母亲说。
宏儿听得这话,便来招水生,水生却松松爽爽同他一路出去了。母亲叫闰土坐,他迟疑了一回,终于就了坐,将长烟管靠在桌旁,递过纸包来,说:
“冬天没有什么东西了。这一点干青豆倒是自家晒在那里的,请老爷……”
我问问他的景况。他只是摇头。
“非常难。第六个孩子也会帮忙了,却总是吃不够……又不太平……什么地方都要钱,没有规定……收成又坏。种出东西来,挑去卖,总要捐几回钱,折了本;不去卖,又只能烂掉……”
他只是摇头;脸上虽然刻着许多皱纹,却全然不动,仿佛石像一般。他大约只是觉得苦,却又形容不出,沉默了片时,便拿起烟管来默默的吸烟了。
母亲问他,知道他的家里事务忙,明天便得回去;又没有吃过午饭,便叫他自己到厨下炒饭吃去。
他出去了;母亲和我都叹息他的景况:多子,饥荒,苛税,兵,匪,官,绅,都苦得他像一个木偶人了。母亲对我说,凡是不必搬走的东西,尽可以送他,可以听他自己去拣择。
下午,他拣好了几件东西:两条长桌,四个椅子,一副香炉和烛台,一杆抬秤。他又要所有的草灰(我们这里煮饭是烧稻草的,那灰,可以做沙地的肥料),待我们启程的时候,他用船来载去。
夜间,我们又谈些闲天,都是无关紧要的话;第二天早晨,他就领了水生回去了。
又过了九日,是我们启程的日期。闰土早晨便到了,水生没有同来,却只带着一个五岁的女儿管船只。我们终日很忙碌,再没有谈天的工夫。来客也不少,有送行的,有拿东西的,有送行兼拿东西的。待到傍晚我们上船的时候,这老屋里的所有破旧大小粗细东西,已经一扫而空了。
我们的船向前走,两岸的青山在黄昏中,都装成了深黛颜色,连着退向船后梢去。
宏儿和我靠着船窗,同看外面模糊的风景,他忽然问道:
“大伯!我们什么时候回来?”
“回来?你怎么还没有走就想回来了。”
“可是,水生约我到他家玩去咧……”他睁着大的黑眼睛,痴痴的想。
我和母亲也都有些惘然,于是又提起闰土来。母亲说,那豆腐西施的杨二嫂,自从我家收拾行李以来,本是每日必到的,前天伊在灰堆里,掏出十多个碗碟来,议论之后,便定说是闰土埋着的,他可以在运灰的时候,一齐搬回家里去;杨二嫂发见了这件事,自己很以为功,便拿了那狗气杀(这是我们这里养鸡的器具,木盘上面有着栅栏,内盛食料,鸡可以伸进颈子去啄,狗却不能,只能看着气死),飞也似的跑了,亏伊装着这么高低的小脚,竟跑得这样快。
老屋离我愈远了;故乡的山水也都渐渐远离了我,但我却并不感到怎样的留恋。我只觉得我四面有看不见的高墙,将我隔成孤身,使我非常气闷;那西瓜地上的银项圈的小英雄的影像,我本来十分清楚,现在却忽地模糊了,又使我非常的悲哀。
母亲和宏儿都睡着了。
我躺着,听船底潺潺的水声,知道我在走我的路。我想:我竟与闰土隔绝到这地步了,但我们的后辈还是一气,宏儿不是正在想念水生么。我希望他们不再像我,又大家隔膜起来……然而我又不愿意他们因为要一气,都如我的辛苦展转而生活,也不愿意他们都如闰土的辛苦麻木而生活,也不愿意都如别人的辛苦恣睢而生活。他们应该有新的生活,为我们所未经生活过的。
我想到希望,忽然害怕起来了。闰土要香炉和烛台的时候,我还暗地里笑他,以为他总是崇拜偶像,什么时候都不忘却。现在我所谓希望,不也是我自己手制的偶像么?只是他的愿望切近,我的愿望茫远罢了。
我在朦胧中,眼前展开一片海边碧绿的沙地来,上面深蓝的天空中挂着一轮金黄的圆月。我想:希望本是无所谓有,无所谓无的。这正如地上的路;其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。
一九二一年一月。
□注释
⑴本篇最初发表于一九二一年五月《新青年》第九卷第一号。
⑵猹:作者在一九二九年五月四日致舒新城的信中说:“‘猹’字是我据乡下人所说的声音,生造出来的,读如‘查’。……现在想起来,也许是獾罢。”
⑶大祭祀的值年:封建社会中的大家族,每年都有祭祀祖先的活动,费用从族中“祭产”收入支取,由各房按年轮流主持,轮到的称为“值年”。
⑷五行缺土:旧社会所谓算“八字”的迷信说法。即用天干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)和地支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)相配,来记一个人出生的年、月、日、时,各得两字,合为“八字”;又认为它们在五行(金、木、水、火、土)中各有所属,如甲乙寅卯属木,丙丁巳午属火等等,如八个字能包括五者,就是五行俱全。“五行缺土”,就是这八个字中没有属土的字,需用土或土作偏旁的字取名等办法来弥补。
⑸鬼见怕和观音手,都是小贝壳的名称。旧时浙江沿海的人把这种小贝壳用线串在一起,戴在孩子的手腕或脚踝上,认为可以“避邪”。这类名称多是根据“避邪”的意思取的。
⑹西施:春秋时越国的美女,后来用以泛称一般美女。
⑺拿破仑(1769—1821):即拿破仑·波拿巴,法国资产阶级革命时期的军事家、政治家。一七九九年担任共和国执政。一八○四年建立法兰西第一帝国,自称拿破仑一世。
⑻华盛顿(1732—1799):即乔治·华盛顿,美国政治家。他曾领导一七七五年至一七八三年美国反对英国殖民统治的独立战争,胜利后任美国第一任总统。
⑼道台:清朝官职道员的俗称,分总管一个区域行政职务的道员和专掌某一特定职务的道员。前者是省以下、府州以上的行政长官;后者掌管一省特定事务,如督粮道、兵备道等。辛亥革命后,北洋军阀政府也曾沿用此制,改称道尹。
[/td][/tr][/table]
友情链接专区
文字链接: 新世界教育
网址:
http://www.neworldedu.org
[88 * 31]
链接说明
1.本站是专业的教育培训品牌机构-新世界教育官方网站,所以友情链接以学习、学生参与、互动交流的网站平台为主。
2.本站链接排名不分先后;
3.凡申请与本站进行友情链接的网站,请邮件至
zhantianqi@neworldonline.org
。
4.与本站链接的网站必须是合法站点,都要求内容完整、无恶意代码、专心制作、有自己的特色。
5.如果您提出与本站链接,请先在您站点内做好我们的Logo链接之后,将您网站的网址与LOGO (88*31像素)发给我们,经我们审核后本站会以最短时间做好链接。
6.本站将定期对友情链接部分进行检查,发现无法正常打开、没有相互链接、内容不符合要求等站点,将立即清除。
7.本站更改网站时如误删了您的链接,请及时来信。
8.拒绝含色情、暴力或反动内容的站点。
9.我们会认真对待每一个请求。
合作伙伴
搜索更多相关主题的帖子:
鲁迅
日语
中日
故乡
井上
UID
357
帖子
63
精华
0
积分
370
威望
41
太阁币
102
日语水平
日语能力四级
阅读权限
100
注册时间
2007-10-18
查看详细资料
TOP
‹‹ 上一主题
|
下一主题 ››
◆ 太阁日语在线课堂 ◆
◇报名咨询
◇太阁日语网络培训班
◇学员心声
◇太阁日语教务处
『VIP会员课程请假版』
◆ 太阁日语课后作业区 ◆
◇ 0起点直达班级
◇ 标日初级上班级
◇ 初级口语特训班级
◆ 日语学习 ◆
◇ 学习资料共享
◇ 日语疑难解答
◇ 日语综合学习
◆ 在线日语教材◆
◇ 标准日本语
◇ みんなの日本語
◇ 特色课程
◆ 日语考试 ◆
◇ 日语能力1级
『日语能力1级真题资料』
◇ 日语能力2级
◇ 日语能力3、4级
『日语能力3级真题资料』
◇ J.TEST 日语托业
◆ 生活中的日本 ◆
◇ 了解日企
◇ 动漫专区
◇ 影视音乐
◇ 游戏帝国
◇ 深知日本
◆ 交友专区 ◆
◇ 新人报到
◇ 心情驿站
◆ 论坛板块 ◆
◇ 站点事务
控制面板首页
编辑个人资料
积分交易
积分记录
公众用户组
勋章
访问推广